「普通に考えると」は「自分の考えでは」に置き換えるべきかもしれない

「普通は」とか「一般的に」って言葉を使うとき、普通の定義は?ソースどこ?その母集団は?って頭の中でツッコミが入る。

ほかにも、「皆は」「社会は」「男は」「女は」「日本はと」か主語でかいの使うと、反例を探し出してきてくる。

 

だからなるべく、「自分は」「自分の周りでは」「うちの会社では」って主語を小さくして置き換える。

もしくは最後に「〜の傾向があると思う」ってつけて和らげてる。

 

絶対なんてめったにないし。

 

もちろん言い切った方がいい場面もあると思うので、使い分けは必要。

見返りがあるかもわからないものでも夢中で没頭できるものがあるなら、それが才能

見返りがあるかわからなくても、誰かに反対されたとしても好きなことをやり続けられることが才能。

やりたいことがあっても、そこに行き着くまでの努力や障壁を考えてやめてしまうならその程度。

自分が夢中になったり没頭できるような、やりたかったこと、好きだったことを思い出して今こそやろう。

椎名林檎のありあまる富を聞いて思ったこと

椎名林檎ありあまる富

https://youtu.be/GvHmMv2JHDk

 

僕らの富、彼らの富という対比を描いてる歌。

富とは何か。価値とは何か。

ヒントは生命に従ってつくもの。

 

富はその人の生き方なのかな、と感じた。

お金や富や名声は、その人の生き方に付随してつくものであって、たとえそれを奪われたとしてもその人自身の価値は変わらない。

林檎だってきっと、そういうものを失ったとしても彼女の考え方、魅せ方、生き方で輝き続けるんだと思う。

 

個人的には、二番があんまり共感できなかった。

理由は、自分の大切にするものを表明するために他をdisる必要はないと思っているから。

買える富が好きな人だっていいと思う。それはその人の価値観だから。

でも、この彼らというのがもしかしたら人ではなくて「自分の中の敵」みたいな捉え方もできるなぁ、とも思う。

林檎はそこまで思って書いたものではないかもしれない勝手な解釈だけど、そう思ったらもっと好きになった。

 

YouTubeのコメント欄も見ると人によって全然違う解釈してて、

聴く人によって解釈とか、体験の想起とか、感じ方や聞こえ方が変わるような想像力をかきたてられる歌なんだと思う。

 

そう思うと、言葉の持つ抽象性・曖昧性ってこういうところに魅力を発揮するんだろうなと思ったり。

 

古い曲だけど、とても好きな曲。

辛い体験をした人ほどこの曲に勇気付けられるんじゃないかな。

今の時代の価値観にも合うと思う。

 

もっとたくさんの人にこの歌知ってほしいな。

相手への敬意と尊重があれば言えないことってある

立場によって言っていいこととよくないことってある。

 

たとえば「お客様は神様」は店側が言ってもいいけど客側が言うべきじゃないし

「子供のすることだから」は迷惑かけられた側が言ってもいいけど保護者が言うべきじゃないし

「育ててもらって感謝」は子供が言ってもいいけど親は言うべきじゃないし

これらの共通点って、相手への尊重とか敬意を持ててるかどうかって違い。

  

ちなみに、ありがとうの反対はあたりまえらしい。

有るのが難しいと思うのと、有るのが簡単だと思うのと。

 

有り難う、と思って人に接していけたらいいな。

苦労にはするべき苦労と、するべきじゃない苦労がある

苦労には二種類あると思う。

するべき苦労と、するべきじゃない苦労。

 

一つ目のするべき苦労は、自分の目標に向かってする苦労。内的動機づけができる人間は強い。

やってて楽しい、達成感を得られるという見返りだけで夢中に取り組める。

 

二つ目のするべきじゃない苦労は、目的に沿わない、ただ不本意に精神が削られていく苦労。

イジメとか虐待とかパワハラとか。どんな手段を使ってでも全力でその環境から逃げるしかない。

 

進むか逃げるか、見極めていこう。

世間の価値観より、自分の価値観を主軸にして生きていたい

世間的にいう「いいもの」よりも自分自身との関連ストーリーがあるものを選択して行きたいと言う気持ち。

 

例えば、海外の有名な観光地よりも、好きな作品のロケ地の方が行きたい。

おしゃれなカフェでコーヒーを飲みながら読書するより、家でパジャマ姿で好きなアニメをひたすら見たい。

高給取りよりも、休みが多い方がいい。

 

まぁ、基本的にインドアなだけなんだけど。。笑

世間の価値観より、自分の価値観を主軸にして生きていたい。

コレに尽きる。