反出生主義の私が子供を産んだら
後悔している。
言い訳だけど、5年付き合った彼氏とそれまで何もなかったから同じような避妊で問題ないと油断した。
タイムマシンがあるのなら、あの時に戻って避妊リングを入れる手術をする。
元々小さい頃から、なんとなく結婚に憧れを持っていなかった。
理由は分からないけど、母親を見て漠然と自由がなくなる印象を持っていたような気がする。
小学校の頃の文集に、これからの人生の予定を予想して書く欄があった。
周りの女の子がみんな20代で結婚することを書いている一方、自分はしない気がして書かなかった。
反出生主義という言葉を知ったのは、20代中盤の時。
SNSで反出生主義の人と出会い、その人の考え方に共感した。
生老病死だけでなく、こんなに希望がなくて生きにくい世の中に大事な人を連れてくるのは可哀想。
胸を張って、あなたもきっと楽しめるからお勧めだよ!って思える環境でないなら、連れてくるのは失礼。
最近流行ってるリファラル採用だってそう。
どんなに自分に利益があったとしても、自分の会社が誇れる会社じゃなければ、周りの凄いと思える人や大事な友人に紹介なんてしたいなんて到底思えない。むしろ失礼にあたる。
産まれてくる子供に対しても同じ。
そんな私でも、猛烈に結婚願望と出産願望が強い時期があった。20代前半の頃だった。
今の夫と出会い、この人となら結婚したいと思える初めての人だった。
彼と自分の分身である子供が欲しいと強く感じた。
だけどお互い若く学生の身分だったのでそれは叶わなかった。
そうしているうちに願望は薄れ、社会人となり、反出生主義を知った。
結婚はしたかったけど彼は乗り気ではなさそうだし、子供は欲しくないと思っていた状態だったから別れようとしていた矢先のことだった。
妊娠が発覚した。
動揺した。
頭が真っ白になって何も考えられなかった。
既に別れ話を切り出していた彼に連絡を取り、家に来た彼はしばらく私を抱きしめてポツリと呟いた。
「保育園どうしようか」
あ、この人は産むつもりなんだと思った。
年齢的にも経済的にも問題なかった。
ずっと悩んで、ただ時間だけが過ぎてしまった。
中絶できる週数を過ぎた後も、本当に自分の判断は正しかったのか、この道で良かったのか分からなかった。
これから来る義務と責任にただ押しつぶされそうだった。
産むからには「産まれてきて良かった」と思える人生を与えなければいけないと思った。
自分の人生を幸福だと思えて、環境が変わってもそれを継続・構築していける手段を身につけさせ、自立させるまでが私の義務。
そして産まれる前から嫌なことばかりだった。
どんどん不自由になっていく自分の身体、何度も職場に謝って検診に行くこと、たまに優しくされたり助けられたりする時の惨めな気持ち、たくさんありすぎて書ききれない。
普通の人なら乗り越えられることを、どうして私は乗り越えられないんだろうと思った。
きっと原因は、楽しいとか嬉しいとかそんな感情が一切湧いてこないこから。
全ての行動の源が義務感だった。
今は妊娠後期。
後悔はしてるけど、それが答えなのかまだ分からない。
妊娠しなかったらきっと彼とも別れていたと思う。
指輪も買って、同棲も始めて、お互いの両親に挨拶もした。
望んでいたことの一部は、多大な犠牲を払って手に入れた。
産まれたらどんな気持ちになるのか、どんな子供と出会うのか、全くの未知数。
やっぱり後悔するのか、それともかわいいと思えるのか。
義務感が強いから育児放棄や虐待だけはしないと思ってるけど、自分がどんな精神状態に陥るのか分からないから怖い。
追い詰められないよう、夫の育休や、役所の制度や、外部のサービスをしっかり利用しようと思う。
これからが分からないからこそ、同じような境遇に合った人に自分の実体験を伝えていきたい。
後悔するにしても、喜びに変わるとしても、それがどんな過程を経てどんな結果になるのか、見届けてほしい。