反出生主義の私が子供を産んだら2
出産して3ヶ月。
自分は子供を産んでいい人間じゃなかった。
夫婦共育休をとった。それなのに24時間体制の信じられない労働。
お互い余裕がなく喧嘩が増えた。
両家の両親は遠方。里帰りもしなかった。
自分の両親にはまだ子供に会わせてもいない。
追い詰められないよう策はいくつか試した。
便利な道具やサービスに頼る。
バウンサー、ボトルウォーマー、食洗機、家事育児のヘルパー、宅配サービス。
夫婦で一日交代制など。(半日交代制はうまく機能しなかった)
よく言われる
「子供の寝顔を見ているとそれまでの疲れが吹っ飛ぶ」
みたいな言説は嘘だと知った。
子供の可愛さがそれまでの苦労に対してとてもペイするものではない。
「産んでしまってごめん」と思いながらお世話をする。
自分の子供なら可愛いという説もあったけど、自分にはあまり当てはまらなかったみたい。
子供が可哀相。
せめてこの割り切れない気持ちを悟られずに、親としての責任を果たしていくしかない。
育児のしんどさは終わりが見えないこと、いつコールがかかるかわからないこと、やろうと思った行動が完遂できないこと、やるべき優先順位が常に入れ替わること、あたりだろうか。
不確実な出来事の連続。忍耐が試される。
仕事の方が100倍マシだと強く思った。
出産は激痛で二度としないと誓った。
和痛や無痛出産も考えたけど、通っていた病院では行なっていなかった。
産後にIUS(避妊リング)を入れた。
入れた瞬間に痛みはなかった。数分後ひどい貧血のような目眩と生理痛のような腹痛で点滴を打った。
少し高価だったけど、これでまた間違いを犯すリスクが低くなる。
今の安心材料は、夫と義理母が子供を愛してくれていること。
心中が最悪の結果だとしたら、そうならないような逃げ道はきっとある。
たまに子供に話しかけてくれる人の存在も救いになる。
百日祝いで行った写真スタジオではお姉さんの赤ちゃんへの扱いが素晴らしかった。
見学で行った保育園の先生の接し方もさすがのプロ。
自分より可愛がってくれる人たちを見ていると、最悪自分が死んだとしても大丈夫という安心感がある。
4月から復職して保育園に入れる。
仕事と両立できるだろうか。それとも子供から離れられて精神的に楽になるだろうか。
最近子供はよく笑うようになった。追視やハンドリガードをするようになった。
ピカチュウやタラちゃんのような「チャー!」という声をよく発する。
横顔はクレヨンしんちゃんのようにぷっくりな頰。
可愛いと思う瞬間も、ちゃんとあるよ。
とりとめなくここまで書いてみて、自分が大変、の記述が多い。
なんだかんだ言い訳してたけどやっぱり自己中でしかなかった。
とても恵まれていて、ハタから見れば幸せの象徴の中にいて、
それなのに先が見えない暗闇の中にいて、取り返しのつかないことをしてしまった後悔が強い。
まだ受け入れられていない。覚悟が決まり切らない。腹を括るにはどうすればいいのか。
それでもやるしかない。