反出生主義の私が子供を産んだら4

やっぱり私は子供を産みたくなかった。

 

問題に向き合わず、目を逸らし続け、時間が経てば経つほど問題が複雑化して後から跳ね返ってくる。

自分には何もない、カラッポの人間だと感じる心の穴を覗き込んだ時、心が冒頭の「やっばり私は子供を持ちたくなかった。」と呟いた。

 

仕事や家事は苦なくこなせる。ただ育児だけはどうしても受け付けられない。

離婚して親権をパートナーに渡すことも何度も考えた。

全てを失ってたとえ不幸になっても私は構わなかったが、周りを不幸にしてしまうそのことが私を踏みとどまらせた。

 

そんな中出会ったのがこの本。

「母親になって後悔してる」

https://www.amazon.co.jp/dp/4105072714

 

この本は、社会的なタブーとされてきて抑圧されてきた「母親の後悔」を社会学的な観点から研究されたものを翻訳した本。

母になった後悔と子供を愛する気持ちは両立する。

ただ、もう一度戻れるのなら私は人生で子供を持つ選択肢を選ばないだろう。

子育てイヤ期

イヤイヤ期が始まった。

子供でなく自分が。

子育てしたくない。

子育てしたくない。

仕事もあるのに何度も夜中に起こされたくない。

時間を自分の好きなことに使いたい。

ゆっくりご飯を食べたい。

ひたすら寝たい。

ひたすらショッピングしたい。

ひたすら集中して映画見たい。

ひたすらぼんやりする時間が欲しい。

 

 

 

妊娠中嫌だったこと

体調編

・つわり全般。会社のトイレでゲロゲロすること。

・トイレの個数が少ない職場で、占有してしまうので早く出ないとというプレッシャーがあったこと。

・ひたすら眠くて集中できないこと。

・風邪をひきやすく治りにくくなったこと。

・体型が崩れていくこと。

・お腹が目立たないよう服装に気をつけなければいけなかったこと。

・お腹が目立たない服を着ると余計に太って見えること。

・着たい服が着れなくなっていくこと。着れる服がなくなっていくこと。何を着ても似合わないこと。

・何を食べても脂肪に変わるような体質に変わったこと。体重が増えて太っていくこと。

・週数に対してお腹が大きかったこと。

・双子?と聞かれたこと。大きいことを気にしていなかったらなんとも思わなかったかもしれない。

・妊娠を知らない人から「ちょっと太った?」と言われたこと。

・私の腕を見て「ハム…ちぎりパン…」と夫が言ったこと。

・出産まで後3ヶ月くらいの頃に「後1ヶ月くらいですか?」と聞かれたこと。

・味覚が変わって食欲が異常に増加したけど、体重管理のため我慢しなければいけなかったこと。 

・貧血でめまいや立ちくらみが頻繁に起きたこと。

・嫌いな鉄分系の野菜を我慢して食べるようになったこと。

・お酒が飲めなくないこと。

・一挙一動が思うように動かなくなったこと。疲れやすくなったこと。

・物を落としたり壁にぶつかったりしやすくなったこと。

・安全のためや体調不良で、旅行・ライブ・遊園地・飲み会を諦めたり断ったりしたこと。

・歩くのが遅くなり、後ろから近い距離でサッと抜かされること。

・今までと同じスピードで動いていたらお腹が張って苦しくなり動けなくなったこと。

・お腹が重くて引っ張られて苦しかったこと。妊婦帯で少しマシになった。

・内臓全部が常に圧迫されてること。

・腰痛に悩まされたこと。

・頻尿になること。

・足がつるから寝る前の伸びができなくなったこと。

・ショッピング中に足がつり続けて動けなかったこと。

・無性に喉が乾くこと。

・くしゃみなどの軽い刺激で尿もれすること。

・便秘で苦しかったこと。切れ痔になったこと。

・満員電車でお腹を潰されながら通勤すること。

マタニティマークをつけてると嫌がらせのターゲットにされると聞いて、本当にキツイ時につけるか葛藤したこと。

マタニティマークをつけて優先席に立っていても意外と気付いてもらえないこと。自分から声かけるのも気がひけること。

・出産への痛みの恐怖。無痛や和痛もリスクがある悩み。

・子育てへの漠然とした不安。できなくなることが増えて子供を恨んでしまわないか怖かったこと。

・夫が立て続けに旅行の予定を立てようとして、体調わからないから行ってきていいよと言ったら「いいの?」と言ったこと。

 

仕事編

・仕事のために産むか中絶するか決断しなければならなかったこと。中絶できるギリギリまで悩んだこと。

・仕事を辞めるか悩んだこと。迷惑かけるくらいなら辞めるべきなのか、両立できるのかわからなかったこと。

・妊娠初期は検診が2週間に1回で、期間内に土曜の予約が取れず仕事を休まないと行けなかったこと。期間内に行けないというと医師に怒られたこと。(法定の検診休暇は月1)

・あんなに積極的だった転職エージェントたちも妊娠中と伝えると潮が引くようにいなくなり、妊娠や子育ては仕事に不利だと痛感したこと。

・社内公表する前に、妊娠を仲のいい同期に伝えたことを上司から注意されたこと。

・客先に遅刻する理由を病院と伝えたら、私用と言うように上司に注意されたこと。

・客先にまだ伝えてないから服装に気をつけてと上司に注意されたこと。

・個室に2対1で重い雰囲気で今後の産休に入る予定どうするかを上司に聞かれたこと。

・ただでさえ引け目を感じているのに冷たい態度に傷付いたこと。(気を遣われて微妙な反応になってるだけかもしれず明らかな悪意とは言い切れない。)

・夫の育休でカネカのようなパタハラが起こらないか心配だったこと。

・キャリアのブランクが空くこと。

・何かあるたびに周りの人に謝り続けないといけないこと。子育てを始めたらさらに多くなることが予想されること。

・上記の理由により「妊娠・子育て=悪」のように感じること。

・優しくされると惨めな気分になって泣けてくること。

・情緒不安定で小さなこともイライラすることに自己嫌悪すること。

これらのような小さなストレスが絶え間なく続くこと。ストレスへの予測が難しいこと。

・予測外のストレスに対するために常に戦闘体制の心持ちでいなければならないこと。撮り損ねた経験からマタハラ証拠のための録音や録画のタイミングを気にするようになったこと。

反出生主義の私が子供を産んだら3

出産してからもうすぐ11ヶ月。

1年近く経って、どう心境の変化があったか。

 

普通。かなり普通だ。

 

どう普通かというと、望んで子供を産んで育児している人たちと同じように大変な思いと楽しい思いを育児から得ている。

 

夫婦とも職場復帰した。

子供が保育園に行き出した。

育児と仕事両立できるか心配していたけど、杞憂だった。

仕事に没頭している方がずっと精神的に楽だった。

しばらく離れていた我が子と会うのは嬉しい。

基本的に寝不足ではあるけど、子供と常にいるより精神的にはずっとマシだった。

 

最初の頃にあった葛藤はもうずいぶん遠くに感じる。

劇的な変化があったわけではない。

日々の生活を積み重ねながら、その葛藤を一旦脇に置き、徐々に、少しずつ受け入れて行った。

 

予想に反して、私は自由だった。

夫は対等に育児をするから、復職しても週に一日は完全に休めた。

無理だと思っていた旅行も、手間隙はかかるものの子連れで問題なく行けた(最近はコロナ禍で行けないけど)。

妊娠してからブクブクに太った体は、あっという間に元に戻っていった。

時間的にも精神的にも身体的にも身軽でいられた。

 

私が楽しく仕事をして、正しく遊んで、自由に生活しているのを子供に見せられたら

子供は未来に希望を持ってくれるだろうか。

子供は「産まれてきて良かった」と思ってくれるだろうか。

自分の人生を幸福だと思えて、環境が変わってもそれを継続・構築していける手段を身につけさせ、自立させるまでが私の義務。

彼の望む人生を歩めるよう、精一杯サポートする。

反出生主義の私が子供を産んだら2

出産して3ヶ月。

自分は子供を産んでいい人間じゃなかった。

 

夫婦共育休をとった。それなのに24時間体制の信じられない労働。

お互い余裕がなく喧嘩が増えた。

 

両家の両親は遠方。里帰りもしなかった。

自分の両親にはまだ子供に会わせてもいない。

 

追い詰められないよう策はいくつか試した。

便利な道具やサービスに頼る。

バウンサー、ボトルウォーマー、食洗機、家事育児のヘルパー、宅配サービス。

夫婦で一日交代制など。(半日交代制はうまく機能しなかった)

 

よく言われる

「子供の寝顔を見ているとそれまでの疲れが吹っ飛ぶ」

みたいな言説は嘘だと知った。

子供の可愛さがそれまでの苦労に対してとてもペイするものではない。

 

「産んでしまってごめん」と思いながらお世話をする。

自分の子供なら可愛いという説もあったけど、自分にはあまり当てはまらなかったみたい。

子供が可哀相。

せめてこの割り切れない気持ちを悟られずに、親としての責任を果たしていくしかない。

 

育児のしんどさは終わりが見えないこと、いつコールがかかるかわからないこと、やろうと思った行動が完遂できないこと、やるべき優先順位が常に入れ替わること、あたりだろうか。

不確実な出来事の連続。忍耐が試される。

仕事の方が100倍マシだと強く思った。

 

出産は激痛で二度としないと誓った。

和痛や無痛出産も考えたけど、通っていた病院では行なっていなかった。

産後にIUS(避妊リング)を入れた。

入れた瞬間に痛みはなかった。数分後ひどい貧血のような目眩と生理痛のような腹痛で点滴を打った。

少し高価だったけど、これでまた間違いを犯すリスクが低くなる。

 

今の安心材料は、夫と義理母が子供を愛してくれていること。

心中が最悪の結果だとしたら、そうならないような逃げ道はきっとある。

たまに子供に話しかけてくれる人の存在も救いになる。

百日祝いで行った写真スタジオではお姉さんの赤ちゃんへの扱いが素晴らしかった。

見学で行った保育園の先生の接し方もさすがのプロ。

 

自分より可愛がってくれる人たちを見ていると、最悪自分が死んだとしても大丈夫という安心感がある。

  

4月から復職して保育園に入れる。

仕事と両立できるだろうか。それとも子供から離れられて精神的に楽になるだろうか。 

 

最近子供はよく笑うようになった。追視やハンドリガードをするようになった。

ピカチュウやタラちゃんのような「チャー!」という声をよく発する。

横顔はクレヨンしんちゃんのようにぷっくりな頰。

可愛いと思う瞬間も、ちゃんとあるよ。

  

とりとめなくここまで書いてみて、自分が大変、の記述が多い。

なんだかんだ言い訳してたけどやっぱり自己中でしかなかった。

とても恵まれていて、ハタから見れば幸せの象徴の中にいて、

それなのに先が見えない暗闇の中にいて、取り返しのつかないことをしてしまった後悔が強い。

まだ受け入れられていない。覚悟が決まり切らない。腹を括るにはどうすればいいのか。

それでもやるしかない。

両親へ

私はあなたたちを受け入れた結果、自分とは合わないから離れた方がいいと判断しました。
個人的には、それを受け入れることの方があなたたちにとって楽だと思います。
なぜなら私との関係を修復するためにはあなたたち自身が変わらないといけないからです。
どうしても私との関係を修復したいというなら、その気持ちを汲んで最大限譲歩して私の考え方を伝えるのでよく聞いてください。

あなたたちが私へよかれと思ってやることが、私にとって害になる理由が分かりますか。
あなたたちに必要なのは、一人一人に様々な背景や環境があることを踏まえ、多様な価値観があることを認めることです。

前提として、価値観とはある「事実」に対して善悪・正誤・好嫌を判断する基準のことです。
ここのポイントとしては「事実」自体に善悪や正誤があるわけではないということ。
分かりやすく例え話をすると、「感受性が強く引っ込み思案」の性格の人がいるとします。
その人は、所謂体育会系の環境においては、「声が小さくのろまなやつ」という評価をされます。
一方で、人の気持ちに寄り添うことが必要な環境においては「理解してくれて安心できる人」という評価をされます。
性格・性質という事実は変わらないのに、環境によって評価が大きく変わるのは、その環境ごとの優先順位や価値観が存在するからです。
もう一つ例え話をすると、「給料をたくさんもらえる会社」が最高の会社だと思う人もいれば、「自由に勤務時間や休みを決めれる会社」が最高の会社だと思う人もいます。
評価が分かれるのは、最高の基準が個人の価値観に従って決まるからです。

繰り返しますが、まずは自分の考え方が絶対ではないことを知り、違う価値観や新しい価値観を理解できなくてもまずは受け入れることが必要です。
特に、時代は変わり、価値観を構成する基になる環境は大きく変化しています。
世代間だけでなく、多様化が進み個々レベルでも様々な背景の人がいます。

特に他人のすることに関して意見をするなら、その人が何を大切にしていて、何を幸せだと感じて、そのためにどんな行動をしているのか・するべきかを考えてください。
他人とあなたたちの考え方は違うのだから、その人の立場に立って「あなたたちの価値観で」考えた意見を言っても全くの的外れであることを認識してください。
その人の立場にたって「その人の価値観で」考えてようやく少し意味のある意見になると思います。
あくまで「少し」です。他人を全て理解することは不可能という謙虚さを忘れないでください。
また、意見を言ったとして、それが採用されるかどうかは本人のことに関して本人に決める権利があります。
何かを盾にして自分の思い通りにさせようとするのは全くの論外です。

きっと私が言ってることを本当に理解できたら、支配や言いなりや押し付けではなく、私と対等に建設的な議論ができるようになる日が来ると思います。

https://dot.asahi.com/dot/2019042600016.html?page=1
この回答も、私が言いたいことによく似ているので参考にしてください。

反出生主義の私が子供を産んだら

後悔している。

 

言い訳だけど、5年付き合った彼氏とそれまで何もなかったから同じような避妊で問題ないと油断した。

タイムマシンがあるのなら、あの時に戻って避妊リングを入れる手術をする。

 

元々小さい頃から、なんとなく結婚に憧れを持っていなかった。

理由は分からないけど、母親を見て漠然と自由がなくなる印象を持っていたような気がする。

小学校の頃の文集に、これからの人生の予定を予想して書く欄があった。

周りの女の子がみんな20代で結婚することを書いている一方、自分はしない気がして書かなかった。

 

反出生主義という言葉を知ったのは、20代中盤の時。

SNSで反出生主義の人と出会い、その人の考え方に共感した。

生老病死だけでなく、こんなに希望がなくて生きにくい世の中に大事な人を連れてくるのは可哀想。

胸を張って、あなたもきっと楽しめるからお勧めだよ!って思える環境でないなら、連れてくるのは失礼。

 

最近流行ってるリファラル採用だってそう。

どんなに自分に利益があったとしても、自分の会社が誇れる会社じゃなければ、周りの凄いと思える人や大事な友人に紹介なんてしたいなんて到底思えない。むしろ失礼にあたる。

産まれてくる子供に対しても同じ。

 

そんな私でも、猛烈に結婚願望と出産願望が強い時期があった。20代前半の頃だった。

今の夫と出会い、この人となら結婚したいと思える初めての人だった。

彼と自分の分身である子供が欲しいと強く感じた。

だけどお互い若く学生の身分だったのでそれは叶わなかった。

そうしているうちに願望は薄れ、社会人となり、反出生主義を知った。

結婚はしたかったけど彼は乗り気ではなさそうだし、子供は欲しくないと思っていた状態だったから別れようとしていた矢先のことだった。

 

妊娠が発覚した。

動揺した。

頭が真っ白になって何も考えられなかった。

 

既に別れ話を切り出していた彼に連絡を取り、家に来た彼はしばらく私を抱きしめてポツリと呟いた。

「保育園どうしようか」

あ、この人は産むつもりなんだと思った。

年齢的にも経済的にも問題なかった。

ずっと悩んで、ただ時間だけが過ぎてしまった。

 

中絶できる週数を過ぎた後も、本当に自分の判断は正しかったのか、この道で良かったのか分からなかった。

これから来る義務と責任にただ押しつぶされそうだった。

産むからには「産まれてきて良かった」と思える人生を与えなければいけないと思った。

自分の人生を幸福だと思えて、環境が変わってもそれを継続・構築していける手段を身につけさせ、自立させるまでが私の義務。

 

そして産まれる前から嫌なことばかりだった。

どんどん不自由になっていく自分の身体、何度も職場に謝って検診に行くこと、たまに優しくされたり助けられたりする時の惨めな気持ち、たくさんありすぎて書ききれない。

普通の人なら乗り越えられることを、どうして私は乗り越えられないんだろうと思った。

きっと原因は、楽しいとか嬉しいとかそんな感情が一切湧いてこないこから。

全ての行動の源が義務感だった。

 

今は妊娠後期。

後悔はしてるけど、それが答えなのかまだ分からない。

妊娠しなかったらきっと彼とも別れていたと思う。

指輪も買って、同棲も始めて、お互いの両親に挨拶もした。

望んでいたことの一部は、多大な犠牲を払って手に入れた。

 

産まれたらどんな気持ちになるのか、どんな子供と出会うのか、全くの未知数。

やっぱり後悔するのか、それともかわいいと思えるのか。

義務感が強いから育児放棄や虐待だけはしないと思ってるけど、自分がどんな精神状態に陥るのか分からないから怖い。

追い詰められないよう、夫の育休や、役所の制度や、外部のサービスをしっかり利用しようと思う。

 

これからが分からないからこそ、同じような境遇に合った人に自分の実体験を伝えていきたい。

後悔するにしても、喜びに変わるとしても、それがどんな過程を経てどんな結果になるのか、見届けてほしい。