論理と同じくらい感性も大切にしていきたい

ビジネスにおいて、論理が大事だって言うけど論理に偏りすぎなのでは説を唱えたい

論理だけで再現性があると思うことに傲慢さがあるんじゃないかな。

前提要素が全く同じなんてありえないし、この世の不確定要素って多すぎる。

例えばハード扱う時によく思うけど、論理上は正しいはずでも上手くいかないってこと本当に多くて、ひたすらトライアンドエラーを繰り返すしかない。

よく整備されてる工場でさえロット不良率が0%ってことはありえない。

 

個人的には同じ理由で、自信なんて一生つかない気がする。

経験に基づいた自信なんてただの過去のひとつの成功体験でしかないのに、それで思考停止してしまいそうで怖い。

まず時間や時代は変わるし、成功した時の状況と全く同じことってない。

もちろん自信があることによるメリットは自信のある人に任せる。

(ただ、自信はないけど自信ない自分を好きという自尊心はある)

 

不確定要素多すぎで先の見えない世界なら、論理を充分に考えた上で直感や感情に頼るのいいんじゃない。

それこそうまくいってもいかなくても納得できるし、持続しやすい。

「好き/嫌い」「楽しい/楽しくない」「美しい/美しくない」は充分判断の根拠の一つになりうる。

感情は重要な指標。

論理と同じくらい感性も大切にしていきたい。

やる気とか後悔とかいらないから次をやれ

やる気の代わり:タスクに分解して時間決めて淡々と実行する。

やるのが簡単orやるしかない環境をつくる。

 

後悔の代わり:次どうすれば失敗しないか考えて淡々と実行する。

気を付けようより気をつけなくても大丈夫な仕組みを考える。

 

やる気を出したり後悔を乗り越えるための「根性・忍耐力」って、目的を達成するための手段だと思う。

手段っていうのは目的に対して複数あるもので、ないならないなりに別の手段を考えればいい。

目的のために次の行動を起こせるなら、別に落ち込む必要なんてないし(まぁ実際落ち込むけど)、やる気出す必要もない。

 

根性なし&豆腐メンタルの自分にとって、諸々やっていくために言い聞かせてる。

評価に対する個人的見解

- 他人からの評価は環境や評価軸で変わる脆いもの

- 自分への評価と評価軸は、目的を達成する方向に向いてるべきで一人一人違うはず

- 人と比べるより過去の自分と比べる。目的違うのに同じ物差し使って劣等感や優越感持っても意味ない

- 郷に入れば従うけど、なるたけ自分とマッチする郷を選ぶ

「普通に考えると」は「自分の考えでは」に置き換えるべきかもしれない

「普通は」とか「一般的に」って言葉を使うとき、普通の定義は?ソースどこ?その母集団は?って頭の中でツッコミが入る。

ほかにも、「皆は」「社会は」「男は」「女は」「日本はと」か主語でかいの使うと、反例を探し出してきてくる。

 

だからなるべく、「自分は」「自分の周りでは」「うちの会社では」って主語を小さくして置き換える。

もしくは最後に「〜の傾向があると思う」ってつけて和らげてる。

 

絶対なんてめったにないし。

 

もちろん言い切った方がいい場面もあると思うので、使い分けは必要。

見返りがあるかもわからないものでも夢中で没頭できるものがあるなら、それが才能

見返りがあるかわからなくても、誰かに反対されたとしても好きなことをやり続けられることが才能。

やりたいことがあっても、そこに行き着くまでの努力や障壁を考えてやめてしまうならその程度。

自分が夢中になったり没頭できるような、やりたかったこと、好きだったことを思い出して今こそやろう。

椎名林檎のありあまる富を聞いて思ったこと

椎名林檎ありあまる富

https://youtu.be/GvHmMv2JHDk

 

僕らの富、彼らの富という対比を描いてる歌。

富とは何か。価値とは何か。

ヒントは生命に従ってつくもの。

 

富はその人の生き方なのかな、と感じた。

お金や富や名声は、その人の生き方に付随してつくものであって、たとえそれを奪われたとしてもその人自身の価値は変わらない。

林檎だってきっと、そういうものを失ったとしても彼女の考え方、魅せ方、生き方で輝き続けるんだと思う。

 

個人的には、二番があんまり共感できなかった。

理由は、自分の大切にするものを表明するために他をdisる必要はないと思っているから。

買える富が好きな人だっていいと思う。それはその人の価値観だから。

でも、この彼らというのがもしかしたら人ではなくて「自分の中の敵」みたいな捉え方もできるなぁ、とも思う。

林檎はそこまで思って書いたものではないかもしれない勝手な解釈だけど、そう思ったらもっと好きになった。

 

YouTubeのコメント欄も見ると人によって全然違う解釈してて、

聴く人によって解釈とか、体験の想起とか、感じ方や聞こえ方が変わるような想像力をかきたてられる歌なんだと思う。

 

そう思うと、言葉の持つ抽象性・曖昧性ってこういうところに魅力を発揮するんだろうなと思ったり。

 

古い曲だけど、とても好きな曲。

辛い体験をした人ほどこの曲に勇気付けられるんじゃないかな。

今の時代の価値観にも合うと思う。

 

もっとたくさんの人にこの歌知ってほしいな。

相手への敬意と尊重があれば言えないことってある

立場によって言っていいこととよくないことってある。

 

たとえば「お客様は神様」は店側が言ってもいいけど客側が言うべきじゃないし

「子供のすることだから」は迷惑かけられた側が言ってもいいけど保護者が言うべきじゃないし

「育ててもらって感謝」は子供が言ってもいいけど親は言うべきじゃないし

これらの共通点って、相手への尊重とか敬意を持ててるかどうかって違い。

  

ちなみに、ありがとうの反対はあたりまえらしい。

有るのが難しいと思うのと、有るのが簡単だと思うのと。

 

有り難う、と思って人に接していけたらいいな。